ローマ Roma 5

 41. Chiesa della Trinità dei Monti     トリニタ・デイモンティ聖堂

 42. Basilica di Sant'Agnese fuori le Mura  サンタニェーゼ・フオリレムーラ聖堂

 43. Chiesa di Sant'Agnese in Agone  サンタニェーゼ・インアゴーネ聖堂

 44. Chiesa de Sant'Agostino  聖アゴスティーノ聖堂

 45. Basilica dei Santi Bonifacio e Alessio   聖アレッシオ聖堂

 46. Basilica di Sant'Andrea della Valle  聖アンドレア聖堂

 47. Chiesa di Sant'Anselmo all'Aventino   聖アンセルモ聖堂

 48. Basilica di Sant'Eustachio   聖エウスタキオ聖堂

 49. Basilica dei Santi Ambrogio e Carlo al Corso   聖アンブロージォと聖カルロ聖堂

 50. Basilica dei Santi Cosma e Damiano   聖コスマと聖ダミアーノ聖堂

41. Chiesa della Trinità dei Monti     トリニタ・デイモンティ聖堂

 

 ローマを訪れた多くの観光客が訪れ、常に人で溢れているスペイン広場からスペイン階段を登った丘の上にある聖堂です。

 

 二つの鐘楼が並び建つ独特の建築で、1502年フランス王ルイ12世の命で建設が始まり、1585年に完成しています。南フランスの後期ゴティック様式の聖堂です。ナポレオン戦争の際に破壊され、その後当初の姿で復元されています。

 

 

 スペイン階段が上下の道を繋ぐために坂を利用して建設されたのは1728年のことで、聖堂の前の広場にあるオベリスク (Sallustian Obelisk) は1789年に立てられました。

 

 

 

 

改修中
改修中

 

 オベリスクは、巡礼者の目印とすべくピウス6世法王が建てたとされていますが、フランス王の像を建てると言う案を封じるために、サルスチアン庭園から移設したと言うのが実体のようです。

「キリストの十字架降下」 (Wikipediaより)
「キリストの十字架降下」 (Wikipediaより)

 

 聖堂内にはマニエリストのダニエレ・ダ・ヴォルテッラ (Daniela da Volterra) の作品が飾られています。「キリストの十字架降下」ではミケランジェロの影響を受けたような肉体美がみられますが、「聖母被昇天」はラファエルを彷彿とさせます。

 

 

 なお、スペイン階段の右手にはキーツ・シェリー記念館 (Keats-Shelley House) があります。

 

the Keats-Shelley House (公式サイト)

http://www.keats-shelley-house.org/

 

行って見た感じになるバーチャルツアーもあります。

http://www.keats-shelley-house.org/ en/virtual-tour

42. Basilica di Sant'Agnese fuori le Mura  サンタニェーゼ・フオリレムーラ聖堂

 

 地下鉄B線がボローニャ駅で枝分かれして新線が建設されたため、地下鉄で訪問することができるようになりました。サンタニェーゼ通りを登って行くと右側に見えて来ます。バスを利用した場合には、ミケランジェロが設計した1561年建設のピア門 (Porta Pia) を抜け、ノーメンターナ (Nomentana) 通りから訪れることもできます。

 

 4世紀初頭、ディオクレティアヌス帝の時代に12歳で殉教した聖アグネスの墓所があった場所に建設された聖堂です。同時代の聖アンブロージュとダマスクス法王が史実として記載しています。

 

 聖アグネスはキリスト教徒として、ローマ帝国の高官に嫁ぐことを拒否したため、売春婦として裸体を晒すことが命じられると、奇跡が起こり髪の毛が伸びて全身を覆い、光り輝いたと言われています。

 

 また火あぶりの刑に処せられた時でも、炎は聖アグネスを傷つけず、処刑者に向かったと言われています。遂に斬首の刑となってノーメンターナ通りの墓所に埋葬されたと言われています。

 

 地下の埋葬場所には殉教を称えるダマスクス法王の碑があります。

 

 聖堂は4世紀半ばには祠が建設され、6世紀、7世紀、8世紀、11世紀と数回に渡り改築されています。右手に鐘楼があり、入口は一ヵ所でロマネスク様式です。

 

 聖堂内は三廊式で、17世紀以降、両脇に三ヵ所ずつ礼拝堂が付け加えられています。コリント式の柱頭飾りのある円柱には色大理石が使われ、上部の聖職者の肖像画とその紋章を色彩豊かに支えるアーチを演出しています。

 

 中央祭壇には天蓋があり、17世紀初頭のパウロ5世の時代に聖アグネスの聖遺骨を移遷しています。祭壇奥に飾られている聖アグネスの像はイシス神を基にしており、17世紀にフランス人のニコラ・コルディエ (Nicolas Cordier) の作です。天井の格間も17世紀に改築されています。

 

 アプシスは7世紀の建築のままで、金色の下地のモザイク画はビザンティン様式を踏襲しており、中央に聖アグネスが立ち、足元には火刑を示す赤い炎が見えます。左右の聖職者は6世紀初頭に祠を改築したシムマクス法王と7世紀に聖堂を建設したホノリウス法王です。

 

 聖アグネスはビザンティン帝国の妃の様な服装をしており、両聖職者の衣はほぼ同一の表現となっています。表情にも、立ち姿にも動作は感じられません。

 

注:Santa Costanza 聖コスタンツァ聖堂の項も参照ください。

43. Chiesa di Sant'Agnese in Agone  サンタニェーゼ・インアゴーネ聖堂

 

 ナヴォーナ広場の中央にある「四大河の噴水」に面して建つ大きな聖堂です。

 

 ドミティアヌス帝が紀元86年に建設した馬蹄形競技場の脇で、聖アグネスが殉教したとされる地に、8世紀には祠が建てられていた、との言い伝えが起源となっています。

 

 イノチェント10世法王は1652年に法王の宮殿に接続させ、一族用の聖堂としてレイナルディ (Girolamo Rainaldi) に改築を命じています。1653年から1657年までボッロミーニ (Borromini) が引き継いでいます。

 

 聖堂が完成したのは16世紀の末になってからです。競技場に面して建設された建物は当時の観客席の奥行き分しかないため、正面は人目を引きつけるために立体的に派手な造りとなっています。

 波打つ正面と複雑な二本の鐘楼にボッロミーニらしさが出ています。

 

 

 聖堂内はギリシャ十字型ですが、ドームを支えるコリント式の柱頭飾りのある斑岩の柱が、中央の交叉する四点から引きさがっているために、十字形の聖堂内部は八角形のように広がって見えます。

 

 中央祭壇には大理石製の浮彫が飾られていますが、ベルニーニ派の作品です。

 

 ドームには天頂の父とキリストの下に聖母に導かれる聖アグネスが大勢の天使、聖人と共に描かれています。

 

 

 側壁には聖セバスチャン、聖アグネスの像があります。

 

 フレスコ画浮彫で埋め尽くされた、バロック様式の非常に華やかな聖堂です。

44. Chiesa de Sant'Agostino  聖アゴスティーノ聖堂

 

 ナヴォナ広場から北に向かい、チンケ・ルーネ (Cinque Lune) 広場に出て左折すると聖堂の正面に出ます。

 

 1479年にフランスのルーエンの大司教であった、エストゥートゥヴィル (Estouteville) 枢機卿の命で建設が始まっています。

 

 聖堂正面には三ヵ所の入口があり、中央入口上には大きな丸窓があり、両脇の入口上には小さな丸窓を配したシンメトリーのルネサンス様式で建設されています。

 

 正面から想像されるよりかなり大きな聖堂です。

 

 聖堂内は三廊式です。

 

 中央主祭壇にはビザンティン様式で描かれた小さな「聖母子」が色大理石を主体とした天蓋の中に飾られています。身廊と翼廊の交差点には鼓胴面無しに直接ドームが載っています。

 

 

 

 中央にはキリストの座像を12使徒が取り囲むように描かれています。

 

 この聖堂には美術館のように多くの有名画家の作品が掲示されています。中央右手の祭壇にはグエルチーノ (Guercino) の作品が掲げられ、左右壁にはランフランコ (Lanfranco) が「聖アゴスティーノの生涯」を描いています。

 

 入口近くにはヤコポ・サンソヴィーノ (Jacopo Sansovino) 1521年作の「聖母子」があります。

 

 

 左側廊の最初の礼拝堂にはカラヴァッジョ (Carvaggio) 1605年作、「聖母子と礼拝者」があります。

ラファエロ (Raffaello Santi) 作「預言者イザヤ」 Wikipedia より。
ラファエロ (Raffaello Santi) 作「預言者イザヤ」 Wikipedia より。

 

  身廊の柱の側面にはラファエロ (Raffaello Santi) の「預言者イザヤ」等を見ることができます。その他、各礼拝堂や天井にも数多くの絵画が見られます。

45. Basilica dei Santi Bonifacio e Alessio   聖アレッシオ聖堂

 

 テヴェレ川にかかるパラティーノ (Palatino) 橋とスブリチオ (Sublicio) 橋の中間のアヴェンティーノ (Aventino) 丘にあります。

 

 トラステヴェレ地区から、スブリチオ (Sublicio) 橋を渡ると、丘の上にありますが、直接登る道が無いので遠回りすることになります。聖サビーナ聖堂とマルタ騎士団の館の間にあります。

 

 

 聖堂正面には円柱が並ぶ前廊があり、右手には鐘楼が立つと言う典型的なロマネスク様式の聖堂形態をしていますが、正面は二層式になっており、最上階は一段引き下がって切妻式の屋根が載っています。右手には大きな公園があり、住民の憩いの地となっています。

 

 聖堂内は三廊式ですが、バロック様式に改修してあり、中央祭壇の円蓋を含めて、全て青を基調とした色彩で統一されており、落ち着いた印象を与える聖堂です。

 

 ドームの頂点には聖霊の表象である鳩が金色で輝いていますが、周囲の貝殻やアカンサス模様も青で描かれています。左翼廊の聖母礼拝堂には聖母のフレスコ画が飾られています。

階段下の聖アレッシオ
階段下の聖アレッシオ

 

 この聖堂の名称となっている聖アレッシオはローマ貴族の子息でしたが、聖地エルサレムに巡礼に出かけ、帰国した際にはあまりにやつれていたため、家族が子息と認識できず、結局実家の階段の下で臨終を迎えるまで誰にも姿を見られることも無く改悛の生を送ったと言う伝説の聖人です。

 

 聖堂の左手に聖アレッシオの祭壇があります。聖アレッシオの他に聖ボニファキウスの聖遺骸が安置されています。

 なお、「階段下の乞食」は15世紀の宗教劇で良く取り上げられたテーマです。

 

46. Basilica di Sant'Andrea della Valle  聖アンドレア聖堂

 

 ナヴォナ広場の東側に、広場に並行して南北に走るリナシメント (Rinascimento) 通りを南下し、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世大通りと交叉する箇所に聖アンドレア広場があります。非常に大きな聖堂です。

 

 1591年に建設が開始され、1665年までかかって完成しています。正面はレイナルディ (Carlo Rainaldi) が引き継いで最後に完成させていますが、バロック様式の典型的な構造を示しています。

 

 

 中央入口の脇にはコリント式の柱頭飾りの太い円柱が8本、上層階まで伸び、壁龕には聖セバスチャンなどの聖人の立像が納められています。像の上にエンブレムを捧げる天使の羽にも注目です。

 

 聖堂内はラテン十字型で、身廊の幅が広いために単廊式のように見えますが、左右に四ヵ所、礼拝堂が並ぶ三廊式です。

 

 聖ジェス聖堂と同じように宗教改革に対抗して建設され、厳格で簡素な構造が特徴となっています。しかし、礼拝堂、天井、側廊など聖堂内は多くの絵画で埋め尽くされています。

 

 中央祭壇奥のアプシス正面にはプレッティ (Mattia Preti) 1651年作「聖アンドレの磔刑」が巨大な大きさで描かれています。

 

 左手には「聖アンドレの処刑」があります。

 

右手には「聖アンドレの埋葬」があります。

 

 上部にもドメニキーノ (Domenichino) 作の一連の聖アンドレの生涯の場面が描かれています。

 

 

 中央には「聖アンドレアと聖ピエトロの招聘」、左手には「聖アンドレアの鞭打ち」、天井には「洗礼者ヨハネが聖アンドレアと聖ピエトロをキリストに導く」場面が見られます。

 

 

 ドームはマデルノ (Carlo Maderno) 1622年作で、聖ピエトロ大聖堂に次ぐ大きさを誇ります。

 

 「天国の楽園」がランフランコ (Lanfranco) により描かれています。天空に吸い込まれて行く絵はコレッジョ (Correggio) が描いたパルマのドゥオーモの天井画に通じるものがあります。

 

 

 四隅の4大福音書記者もドメニキーノの作品です。

 

 交叉廊の手前にはピウス2世法王とピウス3世法王の墓碑があります。

47. Chiesa di Sant'Anselmo all'Aventino   聖アンセルモ聖堂

 

 テヴェレ川にかかるパラティーノ (Palatino) 橋とスブリチオ (Sublicio) 橋の中間で、聖サビーナ聖堂、聖アレッシオ聖堂の先のマルタ騎士団の館の前の広場にあります。

 

 聖堂の外観と、右手に見える鐘楼はロマネスク様式です。

 

 聖堂内は三廊式で、イオニア式の柱頭飾りの円柱が並んでいます。

 

 アプシスは大理石で模様が描かれています。

 

 

 円蓋の中央には両側から十字架を支える天使と、その両脇に聖ベネディクトゥスと聖アンセルモが描かれています。

 

 外観とは異なり、全て新しく改装された、近代的な聖堂です。

48. Basilica di Sant'Eustachio   聖エウスタキオ聖堂

Wikipedia より
Wikipedia より

 

 ナヴォ-ナ広場 (Piazza Navona) とパンテオン (Pantheon) との間にある同名の広場に面しています。

 

 起源は初期キリスト教時代にまで遡り、コンスタンティヌス帝により、聖エウスタキオが始めた救済施設の跡に聖堂が建設された時とされています。

 

 12世紀にロマネスク様式で再建されましたが、当時の遺構は脇の鐘楼に残るだけで、1724年以降全面的にバロック様式に改修されています。

 

 聖堂の上端には聖エウスタキオの幻影に現われたとされる、角の間に十字架を掲げた牡鹿の頭部が見られます。

 

 聖堂内は左右両側に礼拝堂が並ぶ、三廊式の小さな聖堂です。

 

中央祭壇にはキリストの磔刑像が掲げられています。

 

 アプシスには聖エウスタキオが描かれています。天蓋や左右側面の礼拝堂は17世紀の絵もありますが、それ以降の絵画で飾られています。

49. Basilica dei Santi Ambrogio e Carlo al Corso   聖アンブロージォと聖カルロ聖堂

Wikipedia より
Wikipedia より

 

 ヴェニチア広場からコルソ大通りをポポロ広場に向かって北上し、スペイン広場の前の高級ブランド店が軒を連ねるコンドッティ (Condotti) 通りと交叉した先の左側にあります。

 

 アウグストゥス帝の墓の脇にあたります。

 

 1471年にシスト4世法王はローマ在住のロンバルド族に、小さな聖堂を与えましたが、4世紀のミラノの最初の司教であった聖アンブロージォに奉献して聖堂を拡張し、1610年に同じくミラノの大司教であったカルロ・ボロメオが列聖されたのを機に、1612年から更に聖堂を拡張したため、現在では非常に大きな聖堂となっています。

 

 ドームはピエトロ (Pietro da Cartona) 1668年の作です。16世紀の宗教改革の時期にクレメンス7世法王により、多大な贖宥が認められ、多くの特権が与えられています。

 

 聖堂内は三廊式のラテン十字型で、中央内陣の奥に周歩廊があるのは北方で良く見られる建築様式です。

 

 身廊側からはピンク色に見える大理石柱は、側廊側から見ると白黒の横縞模様の大理石で覆われており、上部のアーチまで色大理石が使われており、華やかな石の競演と言えましょう。

 

 中央主祭壇の奥のアプシスはマラッタ (Carlo Maratta) 作「聖母の聖アンブロージォと聖カルロのキリストへのとりなし」です。

 

 円蓋にも聖アンブロージォと聖カルロの両聖人が描かれています。

 

 

 両脇には色大理石で飾られた説教壇が見えます。

 

 多くの彫像や聖画が飾られ、見ごたえのある華やかな聖堂です。

 

 なお、通常は単に聖カルロ・アルコルソ聖堂 (San Carlo al Corso) と呼ばれています。

50. Basilica dei Santi Cosma e Damiano   聖コスマと聖ダミアーノ聖堂

 

 コロッセオ (Colosseo) からヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂に向かい、フォロ・ロマーノ (Foro Romano) に沿ってフォーリ・インペリアーリ (Fori Imperiali) 通りを進むと左手に聖堂の入口が見えてきます。建物はフォロ・ロマーノの一部を構成しています。

 

 526年にフェリクス4世法王により医療の守護聖人である、聖コスマと聖ダミアーノの双子の聖人を祀り、ロムルスの神殿を聖堂としています。ローマの神殿をキリスト教の聖堂とした最初の例です。

 

 16世紀に両聖人の聖遺物が発見された後、聖堂の改築が始まっています。17世紀にクレメント8世法王は、中央祭壇前の凱旋門アーチと身廊の幅を狭めて、両脇に礼拝堂を設置しています。床を嵩上げし、入口を西側に設け、漆喰の拱廊を設置しています。

 

 中央祭壇には大理石の柱が支える天蓋が置かれ、中央には小さな聖母子画が見えます。

 

 7世紀に描かれた凱旋門アーチのモザイク画は、中央に天の子羊が7本の燭台と4体の天使に挟まれ、外側に4大福音書記者の表象が描かれています。ただし17世紀に幅が縮小された結果、聖マタイと聖ヨハネのみ残っています。

 

 アプシスにも色鮮やかなモザイク画があります。中央のキリストは虹色の雲のたなびく中空に浮き、脇侍する聖ピエトロと聖パオロが聖コスマと聖ダミアーノをキリストに紹介し、向かって左脇にはフェリクス4世法王が聖堂を捧げ、右脇には聖テオドロがビザンティン帝国の貴族の衣装で立っています。

 

 その外側に棕櫚の木があり、左の棕櫚の木の上には不死鳥が見えます。下には12使徒の表象である羊が、両脇のエルサレムとベツレヘムから出て中央の天の子羊に向かい描かれています。

 

天の子羊の立つ岩の下からは4本の川が流れ出ています。更にその下には半円形に聖歌隊席があります。

 

 天井は見事な格間で飾られていますが、中央には両聖人の絵が、両脇には17世紀に聖堂の改築に携わったバルベリーニ (Francesco Barberini) 枢機卿の紋章と蜂が描かれています。

 

 

 

 

 なお、ルッカのドゥオーモにあるヴォルト・サント (Volto Santo=聖顔) と同じように、長い衣を纏ったキリストの磔刑図が見られます。

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